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世開けの歴史

沖縄本島から約4キロほど離れている平安座島と海中道路の建設には深いかかわりがある。

渡船潮川渡り(スーカーわたい)海中道路が建設される以前の沖縄本島との交通手段は、干潮時に浅瀬を歩いて渡る「潮川渡い(スーカーワタイ)」か、満潮時に利用する渡船のどちらかであった。1956年(昭和31)には干潮時の手段として海上トラックが運行を開始したが、1953(昭和28)年の渡船遭難事故もあり、平安座島民の「海中道路建設の夢」への思いは日に日に強くなっていった。海上トラック

1958(昭和33)年には、平安座区民の力で海中道路を建設するための基金設立が始められ、1960(昭和35)年には平安座区独自による海中道路建設期成会が発足した。

島民による海中道路工事そして1961(昭和36)年3月9日には平安座島民による海中道路建設がはじまり800mの基礎工事を(一人一人が石を運んで積み上げるという?)人海戦術で遂行した。ところが9月と10月に来襲した台風によって壊滅的な打撃を受け工事は頓挫する。しかし翌年、島民は今後の施工方法を再検討して工事を再開、第1期・2期工事を経て1966年8月には全長210mのコンクリート製の海中道路を建設した。

ガルフ社との契約そうした中、1967(昭和42)年ガルフ社(1950年から60年代半ばにかけて「セブン・シスターズ」と呼ばれた世界の巨大石油資本のひとつ。のちにシェブロンと合併)誘致問題がおこり、平安座島民は平安座島への進出を要請した。1968(昭和43)年5月31日、ガルフ・エイジアンターミナル社が平安座島に石油ターミナル及び製油所の建設を決定。6月14日、平安座公民館広場に区民総出の中、地上権設定契約の調印式がおこなわれ、造成工事、墓地の移転事業及び共同墓地の建設が始まった。ガルフ社による海中道路建設

渡り初め1971(昭和46)年5月2日、ガルフ社による海中道路建設起工式。同年6月5日、平安座島へ接続。竣工を待たずに渡初式、接続祝賀会を行った(平安座取付広場)。1972(昭和47)年6月28日、沖縄石油精製株式会社から与那城村に海中道路は寄贈された(竣工費250万弗、4,756m、幅員8m)。

現在の海中道路1978(昭和53)年1月27日、平安座住民はこの歴史的栄光と離島文化の架け橋が正に与那城村発展の世開けの道路として永く記念すべく銘打って海中道路接続記念碑『世開之碑』を建立した。平成3(1991)年には県道に昇格し、1999(平成11)年、海中道路が4車線としてリニューアルされ、現在は風光明媚な観光スポットとして脚光をあびている。2011年7月には、平安座自治会主催による海中道路接続40周年記念事業も盛大に挙行され、数々の催しで賑わった。


参考文献:平安座自治会館新築記念誌」(1985年平安座自治会発行)


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なお、平安座島と海中道路の歴史については、海中道路にある海の文化資料館でも展示解説されている。